シューベルト「菩提樹」(歌曲集『冬の旅』から)

  • 2020.07.19 Sunday
  • 20:42
シューベルト作曲の『菩提樹』は芸術歌曲の一篇でありながらほとんど民謡のようにもみなされている曲だ。まず原詩、カタカナ読み、訳詞の順で見てみよう。

    Der Lindenbaum

    Worte:Wilhelm Müller
    Weise:Franz Schubert

Am Brunnen vor dem Tore,
Da steht ein Lindenbaum;
Ich träumt’ in seinem Schatten
So manchen süßen Traum.

Ich schnitt in seine Rinde
So manches liebe Wort;
Es zog in Freud’ und Leide
Zu ihm mich immer fort.

Ich musst’ auch heute wandern
Vorbei in tiefer Nacht,
Da hab’ ich noch im Dunkel
Die Augen zugemacht.

Und seine Zweige rauschten,
Als riefen sie mir zu:
Komm her zu mir, Geselle,
Hier findst du deine Ruh.

Die kalten Winde bliesen
Mir grad ins Angesicht,
Der Hut flog mir vom Kopfe,
Ich wendete mich nicht.

Nun bin ich manche Stunde
Entfernt von jenem Ort,
Und immer hör’ ich’s rauschen:
Du fändest Ruhe dort!

  デア リンデンバオム

   ヴォルテ: ヴィルヘルム・ミュラー
   ヴァイゼ: フランツ・シューバート

アム ブルネン フォア デム トーレ、
ダー シュテート アイン リンデンバオム;
イッヒ トロイムト イン ザイネム シャッテン
ゾー マンヒェン ズューセン トラオム。

イッヒ シュニット イン ザイネ リンデ
ゾー マンヒェス リーベ ヴォルト;
エス ツォーク イン フロイト ウント ライデ
ツー イーム ミッヒ イマー フォルト。

イッヒ ムスト アオホ ホイテ ヴァンダーン
フォアバイ イン ティーファー ナハト、
ダー ハープ イッヒ ノッホ イム ドゥンケル
ディー アオゲン ツーゲマハト。

ウント ザイネ ツヴァイゲ ラオシュテン、
アルス リーフェン ズィー ミア ツー:
コム ヘア ツー ミア、ゲゼレ、
ヒーア フィンツト ドゥー ダイネ ルー。

ディー カルテン ヴィンデ ブリーゼン
ミア グラート インス ゲズィヒト、
デア フート フローク ミア フォム コプフェ、
イッヒ ヴェンデッテ ミッヒ ニヒト。

ヌン ビン イッヒ マンヒェ シュトゥンデ
エントフェルント フォン イェーネム オルト、
ウント イマー ヘーア イッヒス ラオシェン:
ドゥー フェンデスト ルーエ ドルト!

   菩提樹

  詩:W. ミュラー
  曲:F.シューベルト

市門の外の泉のそばに
菩提樹が立っている、
木陰でぼくはいくたびも
甘美な夢を見たものだ。

幹にぼくは彫りつけた
愛を告げる言葉の数々。
楽しい時も苦しい時も
いつもあの樹に引き寄せられた。

今日もやむなく通り過ぎた
あの樹のそばを真夜中に、
闇のなかにありながら
思わず目を閉じてしまった。

するとあの樹の枝がざわめき、
ぼくに呼びかける気がした。
こっちにおいで、友よ、
ここに来たら安らげるよ、と。

冷たい風が吹きつけた
まともにぼくの顔に向け、
帽子が飛んでしまったが、
振り向くことさえしなかった。

いまはあの樹を離れてすでに
何時間もたっているのに、
なおも聞こえるあのざわめき、
あそこに行けば安らげるよ、と。

       (訳:船津 建)      


菩提樹明治の時代から日本語で歌われてきたドイツの愛唱歌を三つ挙げるとすれば『野ばら』、『ローレライ』、『菩提樹』と言ってもさほど異論はないだろう。これらの訳詞はみな文語体で、流麗であるがゆえに却ってあまり内容を考えずに気持ちよく歌ってしまいがちだ。この3曲とも漠然と牧歌的な歌だという印象を抱いている人も多いのではないだろうか。しかし『野ばら』も『ローレライ』も牧歌どころか実は深い寓意を秘めた歌であることはすでにこのブログで述べた。『菩提樹』もまた一筋縄ではいかない内容を秘めている。ところで奇しくもこの3曲は同じ訳者、近藤朔風によって翻訳され、いずれも明治42年(1909)発行の『女聲唱歌』に収められた。次にその朔風の歌詞を挙げよう。表記は初出とは異なり現代語風に書き改めている。右の挿絵は≪Das große Liederbuch≫(歌謡大全)所収のものでこの歌の情景理解に役立つだろう。


    菩提樹

      訳:近藤朔風

泉にそいて 茂る菩提樹
慕いゆきては うまし夢見つ
幹には彫(エ)りぬ ゆかし言葉
うれし悲しに 訪(ト)いしそのかげ

今日もよぎりぬ 暗き小夜中(サヨナカ)
真闇(マヤミ)に立ちて まなこ閉ずれば
枝はそよぎて 語るごとし
「来よいとし友 ここに幸あり」

面(オモ)をかすめて 吹く風寒く
笠は飛べども すてて急ぎぬ
はるか離(サカ)りて たたずまえば
なおもきこゆる 「ここに幸あり」

この歌は本来シューベルトの第二歌曲集『冬の旅』全24曲の内の第5番で、題名は最初に掲げたように≪Der Lindenbaum≫(菩提樹)だ。しかしこれを民謡風に編曲し題名も≪Am Brunnen vor dem Tore≫(泉にそいて)と変えたのがフリードリヒ・ジルヒャー(Friedrich Silcher 1789-1860)だ。一般にはこのジルヒャー編曲による合唱曲として親しまれているので最初にそれをヴェルニゲローデ青年合唱団の演奏で聴いてみよう。このCDの表紙絵もまた歌の情景理解に役立つものだ。



最初に挙げた原詩とその訳詩は全6節からなるのに、近藤朔風の訳詞が全3節なのは『ローレライ』の場合と同じくジルヒャーが原詩の1,2節を第1節に、3,4節を第2節に、5,6節を第3節にまとめて、有節形式で編曲しているからである。ジルヒャーはこの他にも今日なおよく歌われるドイツ民謡をたくさん採譜、編曲、作曲している。原詩がもともと民謡の場合は別として、『ローレライ』やこの歌のように、ハイネやヴィルヘルム・ミュラーといった第一級の詩人による詩の場合は、ジルヒャーの編曲が内容の深い意味を見落とさせることになりかねない。実際日本ではこの歌は100年以上も愛唱されながらほとんど正しく理解されていない。その点シューベルトはミュラーの詩を十分に読み込んだうえで芸術歌曲を生み出しているのだが、『冬の旅』のなかの『菩提樹』の正確な理解さえも日本ではそれほど広く行きわたっているとは思えない。ウィーン大学で音楽学を専攻し博士号まで取得したほどの学者でも「『菩提樹』に束の間の救いが流れる」と書いていたりする(前田昭雄『シューベルト』1993年 新潮文庫)。ポピュラーな歌の原詩を詩として読み込むのはそれくらい難しいことだともいえる。

今度は最初に挙げた原詩とぼくの訳詩を参照しながらディートリヒ・フィッシャー・ディースカウのバリトン独唱を聴いてみよう。鑑賞の前にこの歌曲の主人公「ぼく」が真冬に旅に出ることになったいきさつを『冬の旅』第1曲の『おやすみ』に即して見ておこう。職人の「ぼく」は春、ある親方の家にやってきた。そこの娘と恋仲になりおかみさんは結婚まで口にするほどだった。しかし娘は心変わり、家族みなが冷たくなったこの家を冬のある夜そっと出ていくのだった。娘に心の中で「おやすみ」を告げながら。
 


この演奏はディースカウのかなり後期のものだが、彼の歌う表情が歌の解釈に一定のヒントを与えてくれているように思う。まず歌い出しから第2節の終わりまでは過去の幸せな思い出だ。町に入る門の手前の泉のほとりに大きな菩提樹(正確にはセイヨウシナノキ)があり、そこは人々の憩いの場であるとともに『冬の旅』の主人公にとってかつては自分を愛してくれた恋人との逢引きの場所でもあった。幹にはまだ彼の刻んだ愛の言葉が残っている。嬉しいときも悲しいときもこの樹のもとにやって来たものだった。第3節で時が変わり今日のことになる。今日も又この樹のそばに来たのだが、今までとはわけがちがう。その感情の変化が短調への転調によって示される。人も寝静まった深夜、町を離れるためにやむなくこの樹の傍らを通り過ぎようとしている。暗くてよく見えないのに、それでも彼は恐怖のあまり目を閉じてしまった。すると枝が風にざわめき「ここがお前のやすらぎの場所だ」と言わんばかり。これは馴染んだ樹のやさしい言葉のようにも聞こえるが、彼が目をつむり、冷たい風に帽子を吹き飛ばされても振り返りもせず先を急いだのはなぜか。枝のささやきが実は死への誘惑だったからだ。それもこの樹で自ら首を吊るという形の死。だからこそ彼は振り切るように先を急いだのだ。そして最終節、ここで再び第1、2節と同じ長調が戻ってくる。あの樹から今は遠く離れてもう安心だ。しかし甘い誘惑の声はなおも耳の底に鳴り響いている。彼は死の危機に直面すると怖くて逃げだすのに、死に対する憧れも捨てきれない。以後全編を通してこの死への憧れが貫かれることになるのだ。

菩提樹(Linde)はドイツ中世のミンネザング(Minnesang 愛の歌)以来「愛の樹」という象徴的な意味を持つ。例えばハイネの『歌の本』「抒情的間奏曲」52番には「ぼくたちは菩提樹の下に座り/永遠の愛を誓い合った」というまさにそのままの詩句がある。しかしその一方で処刑の行われる場所、自殺の名所でもあった。最初に挙げた挿絵では町の人たちの憩いの場であることが伺われるが、後者のような意味合いを知る人からすれば、深夜にそのそばを通る主人公の恐れは充分共感できることなのだ。もう一つ、帽子が飛んでも振り返りもしなかったという部分も背景の説明が必要だ。主人公は遍歴の職人である。何の職人かは明らかにされないが、職人は必ず帽子(フート Hut)をかぶり背嚢(リュックサック Rücksack)を背負い杖(シュトック Stock)を手にしている。特に帽子は職人にとって重要で、それで職種が分かる身分証明書のような役割を果たしていた。それが飛んでも拾いに行けないほどこの時の主人公の恐怖は大きいということなのだ。そして帽子の喪失は彼の市民としてのアイデンティティの喪失も意味している。『美しき水車屋の娘』(Die schöne Müllerin)では第1曲目で「さすらい」(Wandern)は粉屋の愉しみと歌われたが、『冬の旅』でも繰り返し現れる「さすらい」はここでは親方になるための修業の遍歴ではない。絶えず死の誘惑にかられながら凍てつく冬の風景の中をあてもなくさまよう孤独と絶望のさすらいなのだ。

シューベルトはこの歌曲集の前半12曲が出来上がった時真っ先に仲間たちに披露したが誰一人その真価を理解しなかった。ショーバーが『菩提樹』だけは気に入ったと言うと、シューベルトはいずれはみんな好きになってくれるだろうと答えたと伝えられている。『菩提樹』も又甘美な思い出にふけりながらも過酷な現在と破滅の未来へとさまよう歌に他ならないということを、シューベルトの親しい友だちでさえ最初は理解しなかったのだ。

『美しき水車屋の娘』と『冬の旅』の詩を書いたヴィルヘルム・ミュラー(Wilhelm Müller 1794-1827)はシューベルトの3歳年長でドイツロマン派の詩人だが、この二つの歌曲集によって歴史に永遠に名をとどめることになったと言えるだろう。ドイツ文学史の中で見ればハイネの先駆者的な役割を果たした詩人でもある。ハイネはミュラーの死の前年(1826)、ミュラーに宛てて手紙を書いている。その中でハイネは、『うるわしの五月』を含む自分の『抒情的間奏曲』の韻律がミュラーに影響を受けていること、ミュラーの純粋な響きと簡素さこそ自分の追い求めてきたものであること、彼の詩には古い民謡の持つぎごちなさを脱した新たな民謡の可能性があることなどを称賛を込めて述べている。実際後にハイネ詩節とも呼ばれるようになる4行1節の民謡的な形式はミュラーが一貫して用いてきたものだ。

シューベルトが『冬の旅』前半の12曲を作曲したのは1827年2月、後半12曲の作曲は同年10月ミュラーが百日咳で死んだ頃だった。二人は生前出会うこともなく、ミュラーがシューベルトの曲のことを知っていたかどうかは不明だ。そしてシューベルトは翌1828年初めて自分と同年のハイネの詩6篇に曲を付けた。その年11月、『冬の旅』の校正を終えた1週間後にシューベルトは31歳で永眠する。ハイネの詩による6曲は他の遺作8曲と共に翌1829年、出版社によって『白鳥の歌』(Schwanengesang)と題され出版された。こうしてミュラー、シューベルト、ハイネの三人が見えない糸でつながって、誕生以来200年近くたつ今も世界中の人にドイツ語歌曲の魅力を伝え続けているのだ。

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