映画『ガッジョ・ディーロ』―ロマと非ロマのはざま

  • 2018.10.26 Friday
  • 22:46
ガッジョ・ディーロDVDこの映画の原題は≪Gadjo Dilo≫、監督トニー・ガトリフ、フランス・ルーマニアの共同制作により1997年に公開された作品だ。 映画はフランス人青年ステファンがルーマニアの片田舎の雪道を歩くシーンで幕を開ける。バックに「この民族ジタン、ツィガーヌ、ジプシー、ツィゴイナーはやがて消えうせる…」と歌が流れる。夜、息子を逮捕されやけ酒をあおる老人と知り合い、さっぱり言葉の通じぬまま酒に付き合い老人の家に泊まるステファン。翌朝見知らぬガッジョ(よそ者)を見てロマ集落の老若男女は戦々恐々とする。老人はイジドールという名の長老で、彼がみんなにステファンを紹介してやっと雰囲気がほぐれる。ステファンはノラ・ルカという歌手を尋ねてやって来たことを明かし、テープを聞かせるが誰も知らない。イジドールはステファンを村の酒場に連れて行き、ルーマニア人の村人たちに自由の国フランスから来た友だちだと自慢する。村人は小ばかにした表情で二人を見やる。

 次第にロマの暮らしに溶け込むステファンに、ベルギーの男と別れて村に戻っている若い女性サビーナはよそよそしい。イジドールをリーダーとする村のロマは楽師仕事も請け負っている。ある日富裕なロマの結婚式の演奏に出かけた帰り、ノラ・ルカを知っているかもしれない歌手を訪ねるが、彼は死んでしまっていた。
 ステファンはその後も集落にとどまり、簡易蓄音器を作ってみんなを驚かせたり、トランプに興じたりするうち、サビーナも心を開くようになる。ある日パリの母から届いた手紙に金が同封してあるが、内容は冷たいものらしく、ステファンの表情は冴えない。集落全体がひとつの家族のようなロマたちが彼のことを心配してくれる。彼は半ば親しみを込めて「ガッジョ・ディーロ(バカなよそ者)」と呼ばれる。
 やがてステファンは車を手に入れ楽師たちの助けを借りて、あちこちのロマの歌や演奏を採録し始める。



 男やもめのイジドールは女遊びがしたくて、ステファンの車でサビーナと3人ブカレストに出かける。酒場で馬鹿騒ぎをし、楽団の奏でる哀切なメロディーにサビーナと頬寄せ合って涙を流すステファン、すっかりロマの一員になったかのようだ。やがてふたりはごく自然に村の林で結ばれる。その二人を残してイジドール達が町に演奏に出かけている隙に、少し前に出所していたイジドールの息子アドリアーニが、差別の言葉にかっとなってルーマニア人に怪我を負わせてしまった。報復にロマの集落が焼き討ちにあう。焼け落ちた小屋の中にアドリアーニの黒焦げの死体を見つけ絶叫するサビーナ、必死で抱きとめるステファン。町の屋敷でバイオリンを弾いていたイジドールは知らせを聞いて外に飛び出し、大地を叩いて声を振り絞り、神に悲痛を訴える。この場面で流れる歌が東欧のロマの間で圧倒的な人気を誇る歌姫エスマ(Esma)の『去りゆくあなた(Ma Ker Tu』だ。



 場面変わって村はずれの街道、車を止めうつろな表情のステファン。「おれって馬鹿だな」とつぶやき、車から採録テープを持ち出す。路傍の道標の傍らに穴を掘り、叩きつぶしたカセットテープをすべて埋める。採集のデータを書き留めたノートも破って一緒に埋める。ロマの埋葬の仕方にならい、埋め戻した土に酒をかけ踊り出す。車の中で眠っていたサビーナ、身を起こしその様子をいぶかしげに見つめるがやがて微笑む。

 以上がこの映画のあらすじだ。監督のトニー・ガトリフは、これがロマ三部作の締めくくりと自ら語ったそうだが、その後も『ベンゴ』(2000年)、『僕のスウィング』(2002年)とロマをテーマとする作品を発表し続けている。フランス人の父とスペイン・アンダルシア出身のロマの母を持つこの監督のロマ映画制作はまだまだ続くかもしれないし、続けてほしい。
 この映画には随所にロマ固有の文化をうかがわせる描写がちりばめられている。そして全編ロマの音楽が流れていることは言うまでもない。舞台は、ヨーロッパでもっとも多くのロマがいるルーマニアだ。この国には19世紀後半までジプシー奴隷制が敷かれ、解放後も厳しい差別や迫害があるという。映画に描かれたロマの姿をいくつか紹介しよう。
 まず居住区は町外れのインフラの劣悪な地域だ。定住しているが、水道も電気もない。粗末な小屋とテントで暮らし、ちょっとした移動は馬車でする。ルーマニア語もしゃべるが仲間うちではロマニ語で会話する。ルーマニア語の読み書きができる人は限られている。集落には鍜治の仕事をしている男たちや自動車を修理する若者もいる。お呼びがかかれば冠婚葬祭での音楽演奏に一団で出かける。男女の役割は明確に区別されており、女性はいわゆる複合差別を受けている。若い女性は長いスカートで素足を隠し、やたらと金歯が目立つ。子どもは学校に通っている様子はなく、野山を駆け回って遊び、女性とともに山菜摘みや薪拾いをする。「けがれ」意識が強く、喜怒哀楽の表現が激しい。
 有力者になっているロマが黒服、黒塗りのベンツで登場するが、同胞にはやさしい。婚礼や弔いには独特の風習がある。一般に早死にだ。結婚に関しては父親の意向が絶対で、花嫁・花婿はずいぶん若い。嫁入り前の娘を持つ父親にとって、娘の純潔は何より大事で、医者から処女証明書なるものを取り寄せるほどだ。地元の人たちの彼らを見る目は冷たい。ロマを取り締まる法や条例を仕方なく守っているが、いったん破ればこっぴどい仕打ちを受ける。しかし、過酷な運命も嘆きつつ受け入れて生きていくしかない。
 映画の筋を追いながら目についたロマの特徴とおぼしきことを書き連ねた。これらはロマに関する本においてもよく触れられていることだ。日本語で書かれたロマの概説書・研究書の類はさほど数多くはなく、せいぜい30冊程度に過ぎない。しかもその多くは必ずしも読みやすいとは言えない。かなりずさんな翻訳書か、ヨーロッパの古典的な研究を拠り所とする古めかしい内容のものがいくつもある。しかし、ここ数年急速に出版物が増え、適当な入門書を手にすることができるようになった。日本におけるロマ研究は、やっと本格的な段階を迎えようとしているのではないだろうか(注:以上はこの原稿を執筆した2005年当時の状況である)。ジプシー・ロマ音楽のCDもずいぶん輸入された。ぼくの集めたものだけでも30枚は超える。
生身のロマに接する機会がなく、関心はあっても本でしか知識を得られなかった者からすれば、ガトリフやエミール・クストリッツァの映画が劇場公開されビデオ化されるようになったのはありがたいことだ。ガトリフのようにロマの血を引く監督が多くのロマの素人俳優を使って作る映画に描かれているロマの姿は、現実にきわめて近いと考えられるからだ。ただその際も、描かれている時代と地域という背景を忘れないようにしなければならないだろう。『ベンゴ』はスペイン、『僕のスウィング』はフランスの現代を描いているし、クストリッツァの場合は旧ユーゴスラビアの戦前・戦後や現代が背景だ。
 『ガッジョ・ディーロ』で監督が言いたかったことはラストシーンに集約されている。それまでの90分余りはただ最後の数分のカットを導くための伏線に過ぎないと言っても過言ではない。ラストに近い焼き討ちの場面はたしかにこの映画のクライマックスに見える。村人の揶揄や冷淡な眼差し、あるいは露骨な嫌がらせのあげくに一挙に押し寄せた集団暴力(ユダヤ人に対するポグロムを連想させる)、そのような現実がいまなお各地のロマを襲っていること自体衝撃的である。それはステファンにとっても非常に大きな衝撃だったが、監督が伝えたかったのはそういう実態だけでなく、その体験によってステファンがどう変わったか、ということなのだ。
 ラストシーンでステファンは、ロマの悲哀も歓びも共有し理解したつもりでいたいい気な自分のことを「おれって馬鹿だな」と罵ったのだ。ロマ音楽の熱烈なファンであった父の愛したノラ・ルカ探しに始まったステファンの旅は、父の形見のテープもろとも自らの集めたロマ音楽テープを壊して埋葬することで終わりを迎える。映画の冒頭、村に入るときもたれて休んだ道標がラストでは墓標に見えるのが象徴的だ。
 楽譜に頼らず、音楽について文章で記録することもせず、まして耳の肥えた父が心酔していたノラ・ルカのような歌手は、無名のまま数えきれないほどいる事実を突きつけられて、素朴な民族音楽を高みから採集する気でいたこれまでの自分が恥ずかしくなった。それも自嘲のひとつの理由だろう。しかしそれ以上に大きな理由は、犯した罪に釣り合わない非道な仕打ちを受けてもただ嘆き悲しむしか術のないロマの心情と境遇も知らず、サビーナと恋仲になったことでロマの仲間入りをした気分でいたことへの恥ずかしさだったのではないか。まさしく自分はガッジョ・ディーロと呼ばれるにふさわしい。大事にしていたテープは、被差別者のことを頭でわかったつもりになり、愛し合ったことで対等の関係を結んだつもりでいた自分自身のように思えたのではないか。だからこそまるで臓腑を抉り出すようにカセットを打ち砕きテープを引きちぎったのだろう。
 ロマを描くガトリフ監督の眼差しは半ロマのものであると言った方がいいかも知れない。他愛のない嘘をつき、欲望をストレートにぶっつけ、騒々しく喋り、ところかまわずつばを吐く、ときに眉をひそめたくなるようなロマのありのままの姿を、それでも愛すべきものとして温かく見ている。ロマであれば自分のそんな姿をあえて描こうとはしないだろう。
 「ロマの血を引いてはいるものの、自分だってロマ・シンパのステファンと同じになる危険といつも背中合わせだ。ロマから見れば自分はあくまで半ガッジョなのだ。現にこうして記録している映画のフィルムも、下手をするとステファンのテープになりかねない」、ガトリフはロマの映画を撮りながらいつもそう自らを戒めているのかも知れない。

 これは2005年6月30日発行の『部落解放史・ふくおか』第118号に掲載した文に若干の変更を加えたものである。 

 

calendar

S M T W T F S
      1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
3031     
<< December 2018 >>

selected entries

categories

archives

recent comment

recommend

links

profile

search this site.

others

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM