池野の石碑・石仏を巡る4〜坂名、木原、釣山

  • 2017.09.04 Monday
  • 12:05
1観音山池野地区の石仏巡りを始めて足掛け4年、いよいよ最終回を迎えました。2017年5月7日、五月晴れの空のもと20名の参加者はまず坂名(さかみょう)集落から回ることにしました。写真右が孔大寺山、左が湯川山で、その手前中央やや右に見えるこんもりと丸い小山が通称観音山で、かつては観音像を安置した小さなお堂がありました。玄海町教育委員会の調査では「小川古墳」という名で記録されています。



2定さん写真右端がこの日坂名の説明役を引き受けてくださった高橋定(さだむ)さんです。この場所には半世紀前まで大日如来を祀った古い「お堂さま」がありました。子どもは雨の日などお堂の中でコマ回しをして遊んだそうです。また田植えが終わるとみんな料理を持ち寄りお籠りしたそうです。隣に集会所ができるときお堂は北側の山中に移り、それを機に観音さまと合祀されました。


3大日祠お堂さま跡地の片隅に小さな石に「大日如来」と金文字で刻まれた碑が立っています。それをブロックで囲んで石祠のようにしてあります。これはこの土地の所有者である占部隆子さんが、お堂さまが移転した後に個人で新たに建てられたもので、今もこうして占部さんによって花や水が供えられ祀られています。


460番霊場観音山の観音像とお堂さまの大日如来像は現在、集会所跡地から北に少し上った林の中に合祀されています。ブロック製のお堂の中には宗像四国東部霊場第60番「大日如来」と書かれた札が立ててあります。祭壇にはずらりと古い仏像が並んでいます。そしてお堂の左脇には小さな古い石祠が立っています。


5観音堂全仏

祭壇の右から二番目の木彫りの仏像が御本尊の大日如来像のようです。四国の60番札所も本尊は大日如来ですが、宗像東部霊場の場合は明治期に相談の上、各集落既存の観音堂に番号が打たれていったそうなので、四国の場合と本尊が一致するとは限らないこともあるのですが、ここは一致しています。山中の湿気のせいか左の木像ともども腐食が進んでいます。左側の木像が観音山にあった観音菩薩でしょう。右手が予願印(よがんいん=願いを聞き入れる)を結んでいれば間違いないのですが手先がもげていて確かめようがありません。そのひとつとんで左の木像も観音山にあったそうです。右端に舟形浮彫りの石仏が見えますが、円頂で右手に金剛杵を持っているので、弘法大師かもしれません。左端の石仏坐像は弘法大師で間違いないでしょう。右端の方が古そうに見えます。その他みなそれぞれに名前も謂れもありそうですが、地元の人にも今や定かでないのが実情です。

6観音堂脇石祠本堂左の石祠の中には左手に未開蓮(みかいれん=蓮の華のつぼみ)を持った石像が納まっています。祠の作りと言い仏像のお顔や姿と言い、小さいながら何やら味わい深いものがあります。これもまたいつ頃どんな思いで奉納されたのか興味をそそられます。坂名集落はいま人口減少が進んでいますが、かつては人家も多く信仰篤い里だったことが推測されます。


7観音堂手水鉢お堂の前には大正15年に高橋シゲという方が手水鉢とワニ口を寄付したことを刻銘した手水鉢が据えられています。世話人の名前も占部梅吉とはっきり読みとれます。この高橋シゲさんのご子孫は二平さんとおっしゃる方で今もご健在です。「お堂さま」にあったワニ口の方は所在が分かりません。この手水鉢も元は昔のお堂さまの入口にありました。


8申碑次に訪れたのが人家を結ぶ道路の辻に立つ右の庚申碑。これは池野の他の地域では見られなかったタイプのものです。まず、刻まれている文字が庚申ではなく、ただ「申」一字です。また碑や塔の代わりに「碍」(ガイ、ゲ)という字が刻まれていますが、これは他のところでも見たことがあります。墓石に似た箱型ですが享保十?年(1725〜1734)の銘があるようにかなり古く風化も進んでいます。地元の古老のお話しによると、元々この場所にあったものが、元のお堂が建立されたときにそちらの入口に移され、お堂解体のときに再び今の場所に戻されたのだそうです。


9大日如来のお堂から200m西側の林の中に小さな祠に納まったお地蔵さんがあります。野ざらしでもなく、お堂の中でもなく祠に入れられているのが珍しく、みんな一心に見つめています。林の中というロケーションも雰囲気作りに一役買っているようです。



10坂名地蔵舟形浮彫りで、持物(じもつ)は一般的な錫杖(しゃくじょう)と宝珠(ほうじゅ)ではなく、両手にそれぞれ先端に短冊のついた棒を持つ珍しい姿です。2005年の福岡西方沖地震の折に倒れたのを近所の有志で起こされたそうですが、屋根は重くてそのまま左下に置かれているとのことです。屋根の内側はくぼみが彫り込んであるのでぴったり収まるそうです。


11地蔵手水鉢お地蔵様のそばに古い手水鉢が据えてあります。生い茂る草に包まれるようにして雨水をたたえた姿は何やらゆかしい風情ですが、残念ながら寄進された年月は不明です。鉢を囲む小さな丸葉の草はWHOが保存指定している「ツボクサ(壺草)」という薬草だそうです。


12桜堤写真真ん中の土手は桜堤で、土手の右に見えるこんもりとした木立がお堂のある場所です。その周辺を取り巻く森は「桜古墳群」です。高橋さんが子どもの頃は石室の中に入って遊んでいたそうです。石室は入口側が小さく奥が大きいひょうたん型だったそうです。遠くに見えるのは孔大寺山(499m)です。


13坂名山5分ばかり歩いて小高い林のふもとに着きました。そこには集落で二つ目の庚申碑が立っています。昔この杜(もり)に粢田(しときでん)神社があったそうです。坂名の氏神であると同時に池田村の村社でもありました。筑前國續風土記拾遺に「坂名山と云所に在」と記されています。大正13年の神社大合併の際に現在の笠松に移されました。


14坂名庚申碑合併当時神社は白アリの被害がひどかったので移転新築されたのだと言い伝えられているそうです。この庚申碑の付近には人家は見当たりませんが、この山が坂名の人にとっては氏神を祀る大切な杜だったからこそ、この地に庚申講の人たちによって建てられたのだと思われます。占部隆子、高橋澄幸、高橋美幸さんの話では、子どもの頃からこの場所にあったそうです。まるで板碑のような形の自然石で、正面下方に「本地 大日」と刻まれています。坂名集落の石碑・石仏巡りはここで終え、高橋定さんに別れを告げて、次に向かったのは木原集落です。


15安倍教順碑木原はいま池野コミュニティセンターのあるあたりで、池田でいちばん人家の多い集落です。まず向かったのは、安部利幸さんのお宅でした。敷地内に興味深い石碑が立っていると聞いたからです。右の大きな自然石がそれで、「常真院修汰教順法眼」と刻まれています。安部利幸さんが謂れを話してくださいました。安部さんの祖父にあたる教順さんは、芦屋から安部家に養子に入られたそうです。弟の教仙さんも同じ集落の花田家の養子となられたそうで、その教仙さんの名前もこの碑の台座に刻まれています。法眼とは法印に次ぐ僧の位ですが、弟の教仙さんの方は池田地区の荒神まつりの座頭を務められていたそうです。琵琶を弾きながら昔からの方法でお勤めをされていたといろんな人が話しておられます。田野地区の方は鐘崎の小林家から座頭さんが見えていたそうです。今は両地区とも宗像大社や勝浦の年毛(としも)神社の神官が荒神まつりを司っておられます。この記念碑の裏側には教順さんの名前と並んで妻チヨと刻まれています。また台座には安部、天野といった人々の名前が見られます。


1664番霊場木原には池野地区唯一のお寺があります。浄土宗東照院です。元は畑の大正寺という字名の山中にあったのが、火事で焼けて今の場所に移ったのだそうです。大正寺には開基西光上人の墓があります。この東照院の境内に宗像四国東部霊場第64番(阿弥陀如来)があります。境内にはまだ藤の花が残り、参拝者の目を楽しませてくれましたが、みんなの視線の先にそのお堂があります。境内の掃除中だった和尚さんの鶴林法光さんがいろいろ説明してくださいました。


17本尊お堂の中の祭壇にはさすがにお寺の中らしく、鮮やかな金箔の仏像が納まっていました。右脇には小さな弘法大師の石像もあります。祭壇には普段は格子戸が閉められているのですが、この日は和尚さん自ら私たちのために開けて仏様を拝ませてくださいました。


18地蔵堂お堂の隣には地蔵堂があります。こちらは右手に錫杖を持ち、左手に幼児を抱いています。足元にも幼児がすがっています。水子地蔵尊です。その左手の足元にずらりと古いお地蔵さんが並んでいます。あちこちから寄せ集められたものだそうで、大半が舟形浮彫りですが、いちばん奥のは上部が湾曲している起(むくり)舟後光型です。


19弘法大師群像お堂の片隅には大小さまざまな弘法大師像が並んでいました。手前の大きいのがいちばん新しそうですがかなり古いものも混じっているようです。真言密教と縁の深い修験道の名残でしょうか。興味は尽きません。


20五輪塔境内で目を引いたのがこの2基の五輪塔です。古くは大島の安倍宗任(むねとう)にさかのぼる池田の安部本家の御先祖の墓だそうです。木原には安部姓のお宅が今もたくさんあります。


21無縁供養塔境内にもうひとつ目を引く石碑が立っていました。「村中無縁供養塔」と刻銘され、かなり大きく古いものです。和尚さんの話では元「仏前」(ほとけのまえ)という字名の場所にあったものを移したのだそうです。仏前は大正寺の隣りの字で、昔はその近隣の人が亡くなったときに、そこの山中で火葬していたそうです。遠賀郡から嶮しい峠を越えて最初の村落である池田では、昔は時折行き倒れの人があったのでしょう。見ず知らずの人をこうして手厚く葬った村人の心が籠められた石碑と言えるでしょう。建てられた年号については側面にただ「丙戌三月」とだけあります。池田村が田野村と合併したのは明治22年、その3年前(1886年)が丙戌(ひのえいぬ、ヘイジュツ)の年です。もっとも新しくてその年、それより古いとしたら、それから60年ずつ遡ることになります。130年前なのかそれとも190年前なのか、あるいはもっと古いのか興味津津です。東照院にはまだ他にもたくさん見るべきものがありそうでしたが、今回はこれくらいにして退出しました。


22占部家石祠木原集落の外れ、釣山との境あたりの小高い場所に石祠がひとつ立っています。左横に「大正3年10月建之」と刻銘され占部某の名が見えます。地元の人でも何か分からなかったのですが、後日占部経徳さんから聞いた話で、これが池田地区の占部家の先祖を祀る祠だと判明しました。しばらく前まではまつりが行なわれていましたが、今は途絶えているそうです。


23釣山観音堂次に訪れたのは釣山集会所の前にある「観音さま」(宗像四国東部霊場第31番)です。元々から現在地にあるわけではなく、別のところから移されたのですが、地元参加者の話では昔のお堂は、中で子どもたちが遊びまわれるほど広かったそうです。



2431番霊場本尊金箔を施された御本尊は施錠された格子戸の奥にあります。四国の31番に合わせて「文殊菩薩」と書かれていますが、この仏像が実際にそうかどうかは分かりません。他の集落の場合と同じく、昔から土地の人はただ「観音さま」と呼びならわしてきたそうです。



25火除け地蔵釣山集落は池野の他の集落と町並みが明らかに異なります。農村地帯らしくなく、まるで商家が立ち並んでいたかのように、路地が入り組んでいます。観音さまから路地を隔てたところにこの小さな「火避け地蔵」の祠があります。このお地蔵さまが釣山集落の歴史にとっては大きな意味を持っています。『玄海町誌』にも『玄海町史話伝説』にも書かれていることですが、平家伝説と深い関わりがあります。平信盛(知盛の庶子)がこの地に隠れ住み、やがて金鉱を発見して代々その採掘で財をなしたそうです。江戸時代には黒田藩の御用金となり、盛時には人家千軒を越すほどであったと言われています。千は「千人参り」の場合と同じく多いことを誇張した表現でしょうが、賑わいの面影は今の町並みにもかすかに残っています。ところが寛文年間(1661-1672)に大火があり一瞬にして灰燼に帰しました。その後この「火避け地蔵」が安置されました。「火よけ」は「火除け」とも書かれます。元は8月24日に祭礼が行なわれていたと『玄海町誌』にありますが、今は途絶えて久しいとのことです。
池田に残る平家伝説についてはすでに、「池野の魅力」探索活動の第3回(平成25年5月26日)で、「平家伝説の跡を訪ねて」と題して調査発表しました。その際、宗像市史跡「平信盛笠塔婆」について、信盛の子孫にあたる永野家の永野千春さんに現地で詳しくお話を伺い、冊子にまとめています。



26釣山庚申塔釣山で最後に訪れたのは花田則昭さん宅前の庚申塔です。自然石に庚申尊天と刻まれたこの碑はこれまで見た中でも大きい方に属します。花田則昭さんによると昔からこの場所にあるそうです。またこの碑のすぐそばに、今はみかんの倉庫が立っていますが、そこには昭和40年(1965)頃まで観音堂があったそうです。ここから下の集会所の前まで移されたわけです。その頃花田さんのお宅は火避け地蔵のそばにあったのですが、昭和48年頃現在地(国道495号線の山側)に移ったそうです。昔のお堂は子どもが走り回って遊べる広さだったというのは花田則昭さんの思い出話です。これで今回の探索は終わりです。


コメント
コメントする








    

calendar

S M T W T F S
     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
31      
<< March 2024 >>

selected entries

categories

archives

recent comment

  • 韓国歌謡『離別』〜吉屋潤&ペティ・キム
    heinrich (12/22)
  • 韓国歌謡『離別』〜吉屋潤&ペティ・キム
    西 (12/22)
  • 『トゥーレの王』〜ゲーテの詩とシューベルトの曲 
    歌うたい (10/16)
  • 『トゥーレの王』〜ゲーテの詩とシューベルトの曲 
    heinrich (10/15)
  • 『トゥーレの王』〜ゲーテの詩とシューベルトの曲 
    heinrich (10/15)
  • 『トゥーレの王』〜ゲーテの詩とシューベルトの曲 
    歌うたい (10/14)
  • 『トゥーレの王』〜ゲーテの詩とシューベルトの曲 
    歌うたい (10/14)
  • 『トゥーレの王』〜ゲーテの詩とシューベルトの曲 
    heinrich (10/11)
  • 『トゥーレの王』〜ゲーテの詩とシューベルトの曲 
    歌うたい (10/10)
  • 『ローレライ』〜ハイネの詩による
    heinrich (05/03)

recommend

links

profile

search this site.

others

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM