ビリー・ホリデイ 『奇妙な果実』

  • 2018.02.27 Tuesday
  • 20:20
今日は発表以来およそ80年たって、今や単にジャズの名曲と言うより20世紀を代表する歌の一つとなったビリー・ホリデイ(Billy Holiday)の『奇妙な果実』(Strange Fruit)を鑑賞し、その背景を探ってみよう。
     
      Strange Fruit

           Lewis Allen (Allan)

Southern trees bear a strange fruit,
Blood on the leaves and blood at the root,
Black body swinging in the Southern breeze,
Strange fruit hanging from the poplar trees.

Pastoral scene of the gallant South,
The bulging eyes and the twisted mouth,
Scent of magnolia sweet and fresh,
And the sudden smell of burning flesh!

Here is a fruit for the crow to pluck,
For the rain to gather, for the wind to suck,
For the sun to rot, for the tree to drop,
Here is a strange and bitter crop.

    奇妙な果実

        ルイス・アラン

南部の木になる奇妙な果実、
葉っぱは血に濡れ、根元も血まみれ、
南のそよ風に揺れる黒い実、
ポプラに下がる奇妙な果実。

大いなる南部の田園風景、
ぎょろりと剝いた目、歪んだ口、
モクレンの甘く瑞々しい香り、
ふと、肉の焦げる匂い。

この実をカラスがついばみ、
雨が濡らし、風がなぶり、
太陽が腐らせ、木が振り落とす。
これは奇妙でむごい収穫。

       (訳:船津 建)

 原詩は強弱または強弱弱のリズムを刻む定型詩で、一見のどかな田園風景を歌っているように見える。脚韻も規則正しく、3節すべて1行目と2行目が同じ音、3行目と4行目も別の同じ音で終わっている。このように1節4行、1行4詩脚(強弱や弱強などの1単位を1詩脚と呼ぶ)の構成は民謡調の詩などに多いが、それに曲が付けられる時は、各節同じ旋律が繰り返される有節形式の場合が多い。しかしこの詩は通作形式で曲が付けられている。それが情景描写から始まり一種のストーリーが展開されるバラッド(ballad 物語詩)の内容にふさわしく、単調に陥らず結末のクライマックスへと聞き手を導く効果を発揮している。内容に立ち入る前に創唱者ビリー・ホリデイ(Billy Holiday)の歌唱を最初のレコード(1939年)で聴いてみよう。


 
 最初の2節には「南のそよ風」、「田園風景」、「モクレンの甘く瑞々しい香り」など牧歌的な詩句が見られる。しかし全体的には不気味な感じのする詩句が多く、特に最終節はリズムも乱れ、内容も不吉だ。この詩の朗読あるいは歌唱を初めて聞いた人でも、単なる牧歌と受け止めるよりも、何らかの寓意を感じ取ることだろう。
 「奇妙な果実」「黒い実」「むごい収穫」などの隠喩だけでは正体は明らかにならないが、葉っぱや根元の血、「下がる」の原語hangingの持つ別の意味(縛り首)、「肉の焦げる匂い」、「カラスがついばみ」「太陽が腐らせ」などの表現は自ずと絞首刑や火刑の末の死体のイメージを喚起するだろう。詩の書かれた時代のアメリカ人であれば、ポプラが北米ではコットンウッドと呼ばれ、よくリンチに利用されたことも知っていただろう。その通り、これはリンチに遭った黒人の死体が木に吊るされている光景を、隠喩や直喩をふんだんに用いて描いた詩なのである。そよ風が吹く南部ののどかな田園風景、しかしその風に揺れるのはリンチの死体、モクレンの香りに混じる焼けた人肉の匂い。プランテーションでは黒人の奴隷労働で綿花、タバコなどの作物から甘い汁を吸うオーナーたちが、一方ではこんなむごい作物も栽培しているのだというアイロニーも痛烈だ。
 リンチはアメリカ全土で起こったことだが何と言っても南部が圧倒的に多かった。「モクレン」という語が地域をさらに特定する働きをしている。この花はミシシッピー州とルイジアナ州の州花で、(特に「モクレン州」とはミシシッピー州の愛称)この両州はジョージアと並んでリンチ件数の上位を占める深南部(ディープサウス)の州である。
 この詩は、あるリンチの写真を見て衝撃を受けたユダヤ系アメリカ人エイベル・ミーアポルによって1937年に書かれ、曲が付けられた。ルイス・アランはペンネームで、反ユダヤ主義者からの攻撃を避けるため本名を隠したのだという。高校教員であったミーアポルのこの歌は、最初教員組合の機関誌に『苦い果実』というタイトルで発表され(1937年)、組合の集会などで歌われていたが、39年、グリニッチヴィレッジのナイトクラブ「カフェ・ソサエティ」のマネージャーの目に止まり、ジャズ歌手ビリー・ホリデイが歌うようになる。しかしそれまで彼女のレコードを出していたコロンビアはこの歌の録音を拒否、レコードはマイナーなレーベルから発売されて大ヒットとなる。

bill holiday

 自伝『奇妙な果実』(原題Lady Sings The Blues)の中でビリーは、「カフェ・ソサエティ」でこの歌を初めて歌ったときのことをこう書いている。「私は客がこの歌を嫌うのではないかと心配した。最初に私が歌った時、ああやっぱり歌ったのは間違いだった、心配していた通りのことが起こった、と思った。歌い終わっても、一つの拍手さえ起こらなかった。そのうち一人の人が狂ったように拍手を始めた。次に、全部の人が手を叩いた。」初演の2年前、ジャズ奏者だったビリーの父は巡業中のテキサス州ダラスで、どこの病院でも断られた揚句肺炎で死んだという。ビリーはこの歌に出会ったとき、「パパを殺したものがすべて歌い出されている」気がしたという。

 たとえ録音を通してであれこの歌を聞く者は、何か魔力のようなものにとりつかれた気分になる。そして何より、簡潔だが力強いこのプロテストソングのメッセージがストレートに伝わってきて、リンチについて知り考えようとせざるを得なくなる。その意味でこの歌には人を啓発する力がある。実際アメリカで歴史授業の教材として使われることも多いそうだ。
 リンチはアメリカ史の暗部と言える。日本ではナチス・ドイツのユダヤ人ホロコーストに関する書物は山ほど出版されているが、黒人ホロコーストとも言うべきリンチに関する書物はなかなか見当たらない。南北戦争以前のリンチ犠牲者は白人の方が多かった。フロンティア法との関連でしばしば西部で起こっていたからである。しかしその後は人種差別に基づく黒人対象の事件が圧倒的多数になる。憲法人権センターによると1882年から1968年の間に合衆国で4,743人がリンチに遭ったという。うち70%以上が黒人だった。
 リンチの手順は縛り首に限らず、火あぶりや銃殺あるいはこれらの複合した形を取ることが多かった。『奇妙な果実』の詩においても、吊るされた死体をぶらさがる果実にたとえながら、肉の焦げる匂いにも触れている。新聞に予告が出て何千人もの見物人が集まり、時には銃撃に加わったり死体の一部を土産に持ち帰ったりもしたという。まるでカーニヴァルだ。リンチを主導するのはモブと呼ばれる暴徒である。リンチが頻発した南部の田舎町ではモブと黒人の経済格差は小さく、黒人は彼らにとって経済的なライバルでもあった。もちろん中流や上流階層、さらには何と司法や警察当局までもが加担したり黙認したりした。法廷の裁きに任せない点で不法だが、自分たちのしていることは「正義の裁き」だとの言い分が大手をふってまかり通っていたのである。しかもモブも、それを取り締まらなかった警察も誰一人処罰されなかった。
 リンチの根拠として真っ先に挙げられるのが白人女性への性的犯罪(特にレイプ)である。実際の統計ではレイプはわずかであるのに、リンチを正当化する手段としてしばしば利用された背後には、異人種混交を禁止するという通念があった。奴隷制の成立とほぼ同時に生まれたこの観念はほとんどの州で法制化された。奴隷解放でいったん法を廃止した州も後に復活するなど、20世紀初頭には南部全17州が異人種婚禁止法制を完備していたのである。こういう法体制と並行して早くから、「か弱い白人女性をどう猛な肉欲の黒人男性から守る」という発想が存在していた。これがリンチに至る心理的プロセスの一部を成していたのである。
 また、1865年の奴隷制廃止以後、解放民管理局が黒人の生活や就労を支援するようになり、教育機関や黒人教会設立などの改革が進められた。選挙権の制限もなくなり、黒人上院議員をはじめ各地に黒人政治家が誕生した。昨日まで人間以下とみなしていた黒人たちが自分たちと同等の権利を有するようになることを、骨の髄まで差別意識のしみ込んだ者たちが安んじて受け入れるはずがない。南北戦争の際に連邦から離脱した南部11州を復帰させるための「再建」期に、連邦政府が取った南部宥和政策に乗じて、旧支配層が復権した。彼らは南部の選挙において、折から台頭してきていた白人至上主義秘密結社クー・クラックス・クラン(KKK)を利用し、リンチ、放火などの残虐行為で黒人や共和党支持者の投票を妨害した。その結果、南部では1874年の中間選挙で民主党が圧勝し、その後あらゆる面で黒人差別を徹底するジム・クロウ体制が確立したのである。これがリンチを許した政治的背景である。
 リンチは「白人の優越性を黒人に警告するため」という名目で行われたのだが、優生学というえせ科学がそれを正当化する役割を担った。その中心人物マディソン・グラントは、「異なる人種の混交は、進歩の度合いの低い劣ったタイプの子孫を生み出す」と唱えたが、後にナチスの人種政策に影響を与えた。『奇妙な果実』の作者がユダヤ人であることを考え合わせると、この歌は人種的偏見に基づくあらゆる暴力を告発しているとも言えるのである。リンチが恒常化してからの半世紀以上の間、黒人たちはどのように対抗しただろうか。ひとつは武装自衛闘争だが、これは数において圧倒的にまさる白人の前では無力だった。もうひとつが北部工業都市への移住である。しかしモブの暴力に対する最も効果的な武器は非暴力抗議であると運動の指導者の多くが考えた。たとえばアイダ・ウェルズ=バーネットは自分が編集する新聞に反リンチの記事を書き続けて、世論の啓発に努めた。1909年に行った講演『この残忍な殺戮』(岩波文庫『アメリカの黒人演説集』に所収)で彼女は、リンチは国家的犯罪であり、唯一の確実な防止策は法律に訴えることだと主張している。
 アイダ・ウェルズはまた、デュボイスらとともに全国黒人向上協会(NAACP)を立ち上げ、反リンチ法の制定を求めて闘い続けた。法案は何度も下院を通過したが、その都度上院で南部議員の妨害により不成立となった。しかしNAACPの粘り強い努力によって反リンチの世論は次第に広まり、リンチ件数も激減していった。50年代から60年代にかけて、リトルロックセントラル高校事件、バスボイコット、フリーダムライダーズと、人種分離に公然と抵抗する運動が相次いで展開され、63年のワシントン大行進を経て、64年ついに公民権法が制定された。そして68年、もはや法律のほぼ要らなくなった頃になってやっと反リンチ法が成立するのである。
 『奇妙な果実』が反リンチ運動の愛唱歌となり、公民権運動の起点と称されるのはこのような歴史的経緯があるからなのである。しかし、もちろんこれで問題がすべて解決したわけではない。現代のアメリカにおいてもなお、本質を同じくする事件は跡を絶たない。たとえば20世紀末、ワイオミング州で反ゲイ・リンチの犠牲者が出た。9.11の際には、「ムスリムを殺せ!」の掛け声のもと、多くの無実の者までもが暴力の犠牲になった。また、2006年にはルイジアナ州ジーナの高校で、校庭の木に「首つり縄」が下げられるという憎悪犯罪(ヘイトクライム)が起こり、首謀者を殴った6人の黒人生徒が差別的な重罪に問われるという事件が発生した。
 ビリーは『奇妙な果実』を歌うと全身の力を抜かれてしまうと言った。この歌を歌い始めた頃の録音からはリンチを頂点とする差別に対する激しいプロテストの気概が感じられるが、YouTubeで見ることのできる最晩年の振り絞るような「苦い」歌唱は、リンチ犠牲者への鎮魂歌であると同時に、いつまでも消えない差別への悲歌に聞こえるのだ。



*この記事は『リベラシオン』(福岡県人権研究所 2011年9月 no.143)に掲載したものを若干変更している。
コメント
怖い話です。
難しいです。
  • コスモス
  • 2018/03/06 5:25 PM
コスモスさん、確かに怖い話です。でもそれをあんなに美しい歌にしているところがぼくの胸を打ったのです。 heinrich
  • heinrich
  • 2018/03/10 8:23 PM
コメントする








    

calendar

S M T W T F S
     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
31      
<< March 2024 >>

selected entries

categories

archives

recent comment

  • 韓国歌謡『離別』〜吉屋潤&ペティ・キム
    heinrich (12/22)
  • 韓国歌謡『離別』〜吉屋潤&ペティ・キム
    西 (12/22)
  • 『トゥーレの王』〜ゲーテの詩とシューベルトの曲 
    歌うたい (10/16)
  • 『トゥーレの王』〜ゲーテの詩とシューベルトの曲 
    heinrich (10/15)
  • 『トゥーレの王』〜ゲーテの詩とシューベルトの曲 
    heinrich (10/15)
  • 『トゥーレの王』〜ゲーテの詩とシューベルトの曲 
    歌うたい (10/14)
  • 『トゥーレの王』〜ゲーテの詩とシューベルトの曲 
    歌うたい (10/14)
  • 『トゥーレの王』〜ゲーテの詩とシューベルトの曲 
    heinrich (10/11)
  • 『トゥーレの王』〜ゲーテの詩とシューベルトの曲 
    歌うたい (10/10)
  • 『ローレライ』〜ハイネの詩による
    heinrich (05/03)

recommend

links

profile

search this site.

others

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM