ゲーテ『野ばら』〜シューベルトとヴェルナーの曲

  • 2019.11.18 Monday
  • 21:25
愛唱名歌集これまでいろんなドイツの歌を紹介してきたが、思えば『野ばら』(Heidenröslein)をまだ取り上げていなかった。『きよしこの夜』、『ローレライ』と並んで世界で最もよく知られたドイツの歌だというのに。左はその名も「野ばら社」によって昭和33年(1958)に発行された歌集で、もちろんこの歌は収録されている。奥付を見ると3月3日発行とあり、その裏に同年4月15日購入とあって持ち主の名前が達筆で記されている。これはその年広島のへき地の中学校に新卒で赴任した女性の先生のものだった。その年、中3だった下の姉が先生からいただいたもので、その先生に憧れていたぼくが譲り受けて今まで大切に保管してきたのだ。後にぼくは同じ出版社の『世界名歌集』という本も買って今もよく参照している。この会社は間違いなく『野ばら』を世界愛唱名歌の代表作と考え社名としたのだろう。この歌は作曲者の異なる2曲が同じようにポピュラーだという点でもひじょうに珍しい歌なのだ。まず原詩とそのカタカナ読み、そして日本で100年以上にわたって歌われてきた名訳の順で挙げてみよう。


   
     Heidenröslein

          J.W.v.Goethe

Sah ein Knab’ ein Röslein steh’n,
Röslein auf der Heiden,
War so jung und morgenschön,
Lief er schnell, es nah zu sehn,
Sah’s mit vielen Freuden.
Röslein, Röslein, Röslein rot,
Röslein auf der Heiden.

Knabe sprach : Ich breche dich,
Röslein auf der Heiden!
Röslein sprach : Ich steche dich,
Dass du ewig denkst an mich,
Und ich will’s nicht leiden.
Röslein, Röslein, Röslein rot,
Röslein auf der Heiden.

Und der wilde Knabe brach
’s Röslein auf der Heiden ;
Röslein wehrte sich und stach,
Half ihr doch kein Weh und Ach,
Musst’ es eben leiden.
Röslein, Röslein, Röslein rot,
Röslein auf der Heiden.


   ハイデンレースライン

   ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ

ザー アイン クナープ アイン レースライン シュテーン、
レースライン アオフ デア ハイデン、
ヴァール ゾー ユング ウント モルゲンシェーン、
リーフ エア シュネル エス ナー ツー ゼーン、
ザース ミット フィーレン フロイデン。
レースライン、レースライン、レースライン ロート、
レースライン アオフ デア ハイデン。

クナーベ シュプラッハ : イッヒ ブレッヒェ ディッヒ、
レースライン アオフ デア ハイデン !
レースライン シュプラッハ : イッヒ シュテッヒェ ディッヒ、
ダス ドゥー エーヴィッヒ デンクスト アン ミッヒ、
ウント イッヒ ヴィルス ニヒト ライデン。
レースライン、レースライン、レースライン ロート、
レースライン アオフ デア ハイデン。

ウント デア ヴィルデ クナーベ ブラッハ
ス レースライン アオフ デア ハイデン ;
レースライン ヴェールテ ズィッヒ ウント シュタッハ、
ハルフ イーア ドッホ カイン ヴェー ウント アッハ、
ムスト エス エーベン ライデン。
レースライン、レースライン、レースライン ロート、
レースライン アオフ デア ハイデン。


 野ばら

   ゲーテ

童(ワラベ)は見たり
野中のばら
清らに咲ける
その色愛(メ)でつ
あかずながむ
紅(クレナイ)におう
野中のばら

手(タ)折りて行かん
野中のばら
手折らば手折れ
思い出ぐさに
君を刺さん
紅におう
野中のばら

童は折りぬ
野中のばら
手折りてあわれ
清らの色香
永久(トワ)にあせぬ
紅におう
野中のばら

(訳:近藤朔風)

ゲーテのこの詩には154もの曲が付けられていると言われるが、最初に歌曲王シューベルト(Franz Schubert)が18歳の年(1815)に作曲したものをディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(D.Fischer Dieskau)の演奏で聴いてみよう。次のYouTube表紙の絵はシューベルティアーデ(Schubertiade)という、シューベルトとその音楽を愛する人たちのサロンを表現したもので、中央ピアノに向かっている眼鏡の青年がシューベルトその人だ。



ディースカウが歌うと民謡というより歌曲と言った方がふさわしい感じだ。日本で明治の中期から学校唱歌として歌われてきたのはヴェルナー(Heinrich Werner)の曲(1829年)の方で、こちらは合唱で歌われることが多いので、ヴェルニゲローデ合唱団の演奏で聴いてみよう。



Werner 楽譜

溌溂とした感じのシューベルトの曲に対して、ヴェルナーの方はゆったりとしてより民謡的な印象が強い。ヴェルナーはシューベルトより3歳年下で、この1作のみで歴史に名をとどめている。上はドイツの古い学生歌集に掲載されたヴェルナーの楽譜だが、ドイツ文字(Fraktur フラクトゥーア)で書かれた説明に「フランツ・シューベルトに影響されて1829年作曲」とある。そして歌詞の末尾には学生歌集らしく、ゲーテが1771年に詩を書いたこと、またゲーテは1765年にライプツィヒ大学法学部に入り、1770年にはシュトラスブルク大学に在籍していたことなどが記されている。ドイツ文字(亀甲文字)は今では装飾的にしか用いられないが、戦前ドイツ語を学んだ人たちはこの書体で読み書きした。ぼくの時代には実用の世界からは後退し、古い文献を読むために読み方を学ぶだけだった。しかし年配のドイツ語の先生がこの書体の筆記体を書かれるのにはひそかに羨望を覚えたものだ。

さてここで歌詞の内容に目を向けてみよう。朔風の訳詩がいくら名訳で百数十年親しまれてきたと言っても今ではもはや古文と言うしかない。原詩はバラーデ(物語詩)なので、次にぼくが忠実に内容を追って訳したものをあげてみる。

       野ばら(散文訳)

                   ゲーテ

男の子が一輪のバラが咲いているのを見かけました。
野に咲く可憐なバラでした。
とても若々しく、朝のように瑞々しい美しさでした。
男の子は間近で見ようと急いで駆け寄り、
眺めては大いに楽しみました。
バラ、バラ、真赤なバラ、
野に咲く可憐なバラ。

男の子は言いました、「おまえを折るぞ、
可愛い野バラよ。」
バラは言いました、「あなたをとげで刺します、
あなたがいつまでも私のことを思い出すように、
黙ってされるままにはなりません。」
バラ、バラ、真赤なバラ、
野に咲く可憐なバラ。

そしてとうとう男の子は折ってしまいました、
野に咲く可憐なそのバラを。
バラはあらがい、とげ刺しましたが、
悲鳴をあげてもがいてもどうしようもなく、
ただされるままになるしかありませんでした。
バラ、バラ、真赤なバラ、
野に咲く可憐なバラ。

              (訳:船津 建)

これを読んで初めて「こんな内容だったのか!」と驚かれた人もあるのではないだろうか。そう、これはどう見ても単純な牧歌ではない。少年と少女の恋物語、それも少年の強引な求愛の物語なのだ。暴力的と言ってもいいかもしれない。それに対して少女のできるのは抵抗であり、唯一の武器トゲで刺すことだけ、最後には少年に屈してしまう。この「手折る」とか「トゲ刺す」といったモチーフはドイツ中世文学にもみられるお馴染みのものだ。日本でも『源氏物語』若紫に「手に摘みて いつしかも見む紫の ねに通ひける野辺の若草」という歌がある。また佐藤春夫に「さまよいくれば秋ぐさの 一つのこりて咲きにけり おもかげ見えてなつかしく 手折ればくるし、花ちりぬ」という詩がある。

ゲーテの詩の内容はこのようにかなりきわどいものなのに、ヴェルナーの『野ばら』はドイツでは民謡のようになったせいもあって、明治政府が唱歌を作るにあたって取り入れた欧米の歌の中に含まれ日本語歌詞が付けられた。1884年から小学校で歌われるようになった最初の歌詞を紹介しよう。

    花鳥(ハナトリ)

山ぎはしらみて。雀は泣きぬ。
はや疾(ト)くおきいで。書(フミ)よめわが子。
書よめ吾子。ふみよむひまには。
花鳥めでよ。

書よむひまには。花鳥めでよ。
鳥なき花咲(ハナサキ)。たのしみつきず。
楽しみつきず。天地(アメツチ)ひらけし。
始(ハジメ)もかくぞ。

親しんだ『野ばら』の原詩が男女の恋の話であったことにも驚かれただろうが、こちらの歌詞の方がある意味もっと驚きが大きかったのではないだろうか。ぼくはこんなところにも明治政府文部省の歪んだ教育方針の一端を垣間見る思いがする。シューベルトの曲に付けられた最初の歌詞は明治45年(1912)『高等女学唱歌』に載った『葉かげの花』で、次のような内容だ。

緑のはかげ、ほのぐらきに、
白金なせる、千すじの光、
いまこそさせ、
紅い深き、小さき花に。

胡蝶を知らず、露を知らず、
さやけき朝の、光を知りて、
いまぞ匂う、
紅き深き、小さき花は。

以上二つの明治期の翻案歌詞は坂西八郎著『野ばらの来た道』(響文社 2005年)より引用した。『花鳥』よりも『葉かげの花』の方がまだましな気もするが、原詩をねじ曲げている点は変わらない。それらに比べると、明治42年(1909)に朔風が『女聲唱歌』に載せた訳が、いかに原詩の内容を忠実にたどりつつ日本語で歌えるように誠実に努力しているかよく分かる。朔風は1901年、東京音楽学校(現東京芸術大学)に入り、翌年には東京外国語学校(現東京外国語大学)にも在籍している。音楽と語学の両面で当時最高の教育を受けていたわけだ。しかし明治末から第二次大戦終了まで(つまり大日本帝国時代)朔風の訳詩が小学校で歌われることはなかった。戦後、中高では朔風の訳詩が定着したとのことだが、小学校では戦後もしばらくそれとは別の翻案的な歌詞(文語体)で歌われた。このようにたどって見ると外国の愛唱歌の正確な紹介と受容はそう簡単なことではなく、しばしば歪曲される危険を秘めていると言える。

ここで原詩に目を向けその詩的技巧について考えてみよう。まずリズムはどうなっているか。第1節は
  強弱強弱強弱強
  強弱強弱強弱
  強弱強弱強弱強
  強弱強弱強弱強
  強弱強弱強弱
  強弱強弱強弱強
  強弱強弱強弱
以下第2,3節もこれと全く同じリズムが繰り返される。このリズムで1、2行目を読むと次のようになる。下線部にアクセントを付けて読むとこの詩の基本リズムが感じ取れるだろう。
  Sah ein Knab ein Röslein stehn,
  Röslein auf der Heiden,
このリズミカルな詩行を朗読すれば自ずとメロディーが浮かんできそうだ。当然ながら強音には長音符、弱音には短音符があてられる。シューベルトとヴェルナーの楽譜を見ればそのことがすぐに確認できるだろう。拍子の方はシューベルトが4分の2、ヴェルナーが8分の6で、それが曲想の違いを生んでいる。
もう一つ定型詩において必須なのは押韻だ。韻というのは強音、または強弱音が1単位なので第1節の脚韻だけ抜き出すと次のようになる。1,3,4行目がエーン、2,5,7行目がアイデン、6行目は韻を踏んでいない。エーンをa、アイデンをbで表すと第1節全7行の脚韻はabaab×bとなる。同じようにして第2節を見るとcbccb×b、第3節はdbddb×bということになる。こうして1節7行、全3節からなるこの詩は形式的にきちんと整った定型詩であることが確認できただろう。

rosa caninaこの歌は明治以来『野ばら』という題名が定着しているので冒頭に掲げた野ばら社の歌集の表紙にあるようなバラを思い浮かべる人が多いかも知れない。ぼくも「野に咲く小さなバラ」と思い込んでいた。しかし実はこの花は学名rosa canina(和名 イヌバラ)と言って右の写真のような花だそうだ。「ノイバラ」に似ているがふつうの薔薇とはそうとう趣が異なり、いたって素朴、可憐な印象だ。このような楚々とした風情の花だと分かると次に述べるゲーテの伝記的な制作背景もより納得のいくものになる。


1770年シュトラスブルク大学在学中にゲーテは郊外の牧師の娘フリーデリケと出会い恋に落ちた。しかし翌年にはもうあっさりと彼女を捨ててその土地を去る。フリーデリケはその後一度も結婚することはなかったという。この体験は生涯ゲーテの胸にトゲとして残り、『ファウスト』の印象的な少女グレートヒェンとしても姿を現す。現実のゲーテが二十歳の頃の恋をそんなにも長く深く心にとどめていたかという点についてぼくは少し懐疑的だが一般にはそのように伝えられている。フリーデリケ体験からゲーテは他にも後世に残る詩を生み出している。郊外の恋人のもとに馬を走らせ、逢引きが終わるとまた家路をたどる心情を歌った『歓迎と別れ』(Willkommen und Abschied)や恋の陶酔にともなう生の高揚感を歌った『五月の歌』(Maigesang)などがある。前者にはシューベルト、後者にはベートーヴェンの作曲があり、ドイツリートの名曲として今でもよく演奏される。

シュトラスブルクにいる頃ゲーテは彼の文学的成長にとってひじょうに重要な出会いを体験している。5歳年長の文学者にして民俗学創始者ヘルダー(Johann Gottfried von Herder)との交流がそれだ。ヘルダーは民族固有の特色を色濃く反映したものとして民謡を重要視し、自ら採集もしていた。ドイツ語の「民謡」Volkslied(フォルクスリート)という言葉はヘルダーの造語だ。ゲーテは彼のもとでエルスト(Paul von der Aelst)によって1602年に編纂された歌謡集のなかに、この『野ばら』の詩のリフレイン部分(Röslein auf der Heiden)及びその他二、三の類似した表現を見出していた。ヘルダーは1773年と79年に『ドイツ様式と芸術について』(Von Deutscher Art und Kunst)という本を出したが、その中にゲーテの『野ばら』そっくりの歌が掲載されている。ヘルダー自身この歌を引用するにあたって「記憶に基づき」と断っているので、ひょっとすると1771年に書かれたと言われるゲーテの詩の朗読を聞いた記憶なのかもしれない。しかしもしそうでないとしたら、1789年にゲーテがこれとほぼ同じ詩を自分の作品として公表したことは、今日の観点からすれば明らかな剽窃だろう。ヘルダーの引用しているものに比べると芸術的完成度はゲーテが発表したものの方がはるかに高いので、ゲーテはヘルダーの採集した元歌に手を加えたと見ることもできる。もしそうであればこれをゲーテの作品と呼ぶのがはたして適当かという疑問が湧くが、これについては19世紀後半から20世紀前半にかけて研究者の間で激しい論争が展開された。それも当然だと思える。

『野ばら』には154の作曲があると言ったのはドイツの音楽学者モーザー(H.J.Moser 1889-1967)だが、その楽譜をすべて明らかにしたわけではない。数字だけが孫引きされて独り歩きしている感なきにしもあらずだ。日本のドイツ文学者坂西八郎(1931-2005)が生涯かけてこの同名異曲を追い、91の楽譜と作曲者名を突き止めた。その中でシューベルト以外の有名な作曲家としては、ベートーヴェン、ブラームス、レハール、メンデルスゾーン、シューマンなどが挙げられる。それにしても白眉はやはりシューベルトだし、ヴェルナーもシューベルトの先例がなければ作曲していなかったかも知れない。それなのに皮肉なことに『野ばら』を含むシューベルトの楽譜を送られたゲーテは封も切らずに送り返したというのだ。シューベルトの曲がなかったら誕生以来250年もたった今も世界中でこの詩が読まれていただろうか。

最後に、このあまりにも有名なドイツリートの歌唱法を指導するとき、ディースカウは「抵抗しながら喜ぶように歌う」と言っていたが、ぼくはそれに対していまだに肯定も否定もできないでいる。

コメント
素敵なお話です。
野ばら、いいですね!
あの時代の純粋無垢な気持ちを私も思い出します。
  • コスモス
  • 2019/11/21 8:20 PM
コスモスさん、60年も昔がしきりに懐かしい今日この頃です。
  • heinrich
  • 2019/11/21 8:31 PM
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